よき理解者とともに私らしく老舗旅館の女将として

プロフィール

佐藤 洋詩恵 さん

日本の宿 古窯 副社長・女将

 昭和27年山口県生まれ。昭和50年にCAとして勤務後、結婚を機に山形へ嫁ぎ「日本の宿古窯」の女将となる。2人の子どもを育てながら日本有数の名門旅館を支え続け、やまがた女将会会長などを歴任。現在は義理の両親と同居(同じ敷地内に長男夫婦家族が住む。)

母と祖母を見て学んだ少女時代

 私は山口県の田布施(たぶせ)で生まれ10歳から広島で育ちました。祖母は、私のものの考え方に大きな影響を与えた人でした。「男の人は偉いの?」と私が尋ねると、「男も女も偉い。世の中のお役に立つ人が一番偉い。」と答える祖母。「女性も学問をして世の中のお役に立つことだ。」という教えを受け、私は読書を好むようになり、いつしか小説家になりたいと思うようになりました。母は女手ひとつで、私を何不自由なく育ててくれました。懸命に働く母の後姿をみて、女性が自立して働くということを、生きるのと同じように当然のことと受け止めていたのです。

私らしい女将のスタイルを追い求めて

30年間続けている「古窯かわら版」毎月発行中

 学生時代から交際していた夫との結婚を機に山形に住み、気付けば女将と呼ばれるようになっていました。私ができることを精一杯努めようという気持ちで、子どもを育てながら女将業に取り組みました。
 32歳の時、突然声が出なくなりました。過度の疲労からくる症状と診断され、「しばらく静養しなさい」と。その時は、自分のことで精一杯で、誰とも接したくないほどでした。しかし、少し経ったある日、当時まだ幼い子ども達が「お母さんとお話したいけど、具合が悪いから今は話せないね。お手紙を書きたいけど、まだ文が上手に書けないものね。」と私を思いやりながら相談する会話を耳にし、ハッとしました。その言葉は、子ども達にこれ以上寂しい思いをさせてはいけないと、自分を奮起させるきっかけになったのです。
 体調が戻ると、もう悩まずに私らしい女将のスタイルを実践しようと、まずは「旅館は文化の情報発信基地だ」という信念のもと、「古窯かわら版」の発行を始めました。月1回、山形の観光情報やお客様の声、私の女将としての想いをお伝えする情報紙で、おかげさまで今年の6月で31年目を迎えます。

変えなければ変わらない

 私の一番の理解者は、主人の両親と夫。私が思い悩んだ時、義父はいつも見守ってくれ、女将としてのお手本でもある義母は、「あなたはそのままでいいのよ。」といつも背中を押してくれました。夫も「女将はこうあるべき」という従来の概念よりも、私の想いを尊重してくれました。
 理解者に恵まれ、私らしく歩むうちに、私の想いは、家族のため、社員のため、お客様のため、地域のため、と広がっていきました。社員の子育て支援にも、力を入れています。古窯の社員には子育て中の人がたくさんおりますが、出産する時は1年間の育児休業を取得してもらっています。また、平成5年には再就業したい方を応援する「カムバック支援制度」の創設や週休2日制を取り入れるなど、男女ともに働きやすい職場づくりに取り組んできました。
 何事も、「変えなければ変わらない」のです。私の敬愛する恩師、渡辺和子先生の著書に「置かれた場所で咲きなさい」という書籍があります。与えられた環境の中で、時間を大切に使いながら己の進化を深めていきましょう。自分のためにも、人のためにも。

Work & Home Life in Yamagata
山形での仕事と子育てロールモデル集 2016年 発行
山形県子育て推進部若者支援・男女共同参画課