食の大切さを伝える「食の伝道師」
プロフィール
小野寺 美佐子 さん
農業/農家レストラン「菜ぁ」
農家民宿いこいの宿「農」
昭和28年、鶴岡市生まれ。高校卒業後、農業のかたわら会社に勤め、23歳で結婚し5人の子どもを出産。その後退職し、農業を生業とする。昭和51年会員制野菜宅配をスタート。平成2年「農家の宿母家」、平成6年「農家レストラン菜ぁ」をオープン。母、夫、長男夫婦と孫1人、次男の四世代同居、7人家族。
5人の子どもを育てながら
高校卒業後、会社に勤めながら、専業農家だった家の手伝いを始めました。その後、結婚して5人の子どもの母になりましたが、会社勤めをしながらの農業、そしてまだ小さい5人の子どもの子育て。寝る間を惜しんでもまだ時間が足りないほどの毎日でした。そんな時、ある日長男が灯油の誤飲をしてしまったのです。これではいけないと思い、会社を辞め、農業に専念することにしました。
「子ども達を丈夫に育てたい」という思いから有機野菜の栽培を始めると、それが知り合いの目に留まり、「野菜の宅配をしてほしい。」との声を受けるように。31歳の時に会員制で野菜宅配をスタート。そんな中、40歳の時に病気を患い、それまでの生き方や暮らし方、食事などを見直すことにしました。家族だけでなく、自分の健康も考えなければならないと痛感し、健康になるための「食」の勉強を開始しました。
農家レストランのオープン
5人の子ども達がみんな丈夫に育ったのは「食」のおかげだと思っています。そんな自分の経験から「普段の食の大切さを伝えたい」と、50歳の時に農家レストランをオープン。資金は十分ではありませんでしたが、人には大変恵まれ、レストラン開店に向け、様々な業種の人とプロジェクトチームを発足!この時にいろいろな方向からものごとを考える大切さを学びました。すぐに形にならなくとも、たくさんの人と交流し、学びを重ねていくと見えてくるものは必ずあります。地に根を張り、幹を育て、はじめて花が咲くように、「学び」はものごとの根幹を作る大切な過程だと思います。
レストラン開店から10年、事業が軌道に乗ってきた矢先、また病気を患ってしまい、100日以上入院したのですが、その時に考えたのは、「私らしい農家民宿のおもてなしをしたい」ということ。退院後は認可を取るために奔走しました。
子どもとの関わりが食の仕事へ
振り返れば大変な時期はいくつもありましたが、いつの時も、愛情を持って子どもをきちんと育てたいという思いが根底にありました。農業のいいところは、仕事をしながら子育てができるところですね。子ども達は農作業をする私のそばで、どろんこ遊びをしたり、トラクターをおもちゃ替わりにして遊んだり。子ども達と過ごす時間はとても楽しかったです。また、自分が作ったものを、子ども達がたくさん食べる姿を見ると、さらに安全な農産物の生産を頑張ろうという気持ちになりました。そうした子どもとの関わりが、私を食の仕事へと導いてくれました。
夢は食の大切さを伝えていくこと

温かいごはんと笑顔に
民宿のファンも多い
「食の大切さを伝えること」が、
これからの私の使命だと思い、
私自身が「食の伝達者」になるこ
とで、少しでも社会貢献ができ
たらと思っています。
Work & Home Life in Yamagata
山形での仕事と子育てロールモデル集 2016年 発行
山形県子育て推進部若者支援・男女共同参画課